高野蘭亭「月夜三叉口に舟を泛ぶ」
(たかのらんてい 「げつやさんさこうにふねをうかぶ」)
漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。
高野蘭亭(一七〇四〜一七五七)のこの詩は、第9回(『吟と舞』二○一七年12月号)で参考として取り上げました。今回は少し詳しく見たいと思います。
「三叉口」は、「みつまた」「別れの淵」とも言われ、今の隅田川(東京都)の清洲橋の架かっているあたりにありました。隅田川が両国橋・新大橋方面から東南方向に流れてきて少し湾曲して西南方向に向かうあたり、流れがよどむ西側に中洲があり、川が三方に分かれていたことからそう呼ばれました。江戸時代は船遊びでにぎわい、月見の名所として有名でした。
三叉中斷大江秋 [三叉中断す 大江の秋]
明月新懸萬里流 [明月新たに懸る 万里の流れ]
欲向碧天吹玉笛 [碧天に向かって玉笛を吹かんと欲すれば]
浮雲一片落扁舟 [浮雲一片 扁舟に落つ]
〈大川が分かれた三つ股に舟を浮かべると、秋の月が中天に懸かり、水は万里かなたまで流れてゆく。碧天に向かって笛を吹こうとすると、一ひらの雲が小舟のなかに降りてきた。〉
「中断」は「中分」と同じで、半分に分かれること。「新懸」の「新」は、〜したばかり。たとえば白楽天の「三五夜中新月の色」(八月十五日の夜禁中に独り直す)の「新月」は、東の空に上ったばかりの満月です。「碧天」の「碧」は青ですが、澄みきっているイメージです。
詩の意味は口語訳によって分かります。が、この詩の後半、雲が小舟に落ちてきたというのは、いったいどういうことなのでしょうか。漢詩に限らず、文学には、意味は分かるが腑に落ちない、どこがいいのか分からない、というものが多くあります。これもその一つです。
どうやら、「浮雲」が鍵のようです。
中国では、雲は山の洞穴に住んでいて、朝には洞穴からわき出して、晩にはそこに帰ると考えられていました。陶淵明の「帰去来の辞」に「雲は無心にして以て岫を出で、鳥は飛ぶに倦みて帰るを知る」とあります。「雲」にはいろいろなイメージがあり、「白雲」は社会的な束縛から解放されて自由であることを象徴します。隠遁の譬喩になります。杜牧の「山行」に「白雲生ずる処人家有り」という「人家」は、隠者の住んでいる庵です。「白雲郷」と言えば、仙郷です。
「浮雲」はあてもなく漂う雲で、自由ではあるが不安定な境遇の象徴です。また故郷を離れて漂泊する旅人の譬喩にもなります。李白の「友人を送る」に
浮雲遊子意 [浮雲 遊子の意]
落日故人情 [落日 故人の情]
〈空に漂う浮き雲はさだめなき旅人、君の心のよう。沈もうとして沈まない夕陽は、友である私の心のよう〉と、旅立つ友の不安と、見送る自分の別れがたい情を詠います。
「雲」は、杜甫の「春日李白を憶う」に
渭北春天樹 [渭北 春天の樹]
江東日暮雲 [江東 日暮の雲]
〈私は北の渭水の地で、青空の並木を眺めながらあなたを思っていますが、あなたは江東の地で、日暮れの雲を眺めながら私を思っていることでしょう〉と詠われ、遠くはなれた親友をおもうやさしい心を包みこみます。
高野蘭亭は十七歳のとき失明しています。浮雲が自分の舟に降りてきたと詠うのは、別れて久しい友が、自分を風流の世界に誘うかのようにやってきて、懐かしく嬉しくなり、むかし月を観たときのさまざまな思い出が蘇ってきた、ということなのでしょう。そう解釈するとこの詩も腑に落ちます。月にも、懐かしい人を思う、というイメージがあります。
広重『名所江戸百景』の「深川万年橋」には、紐で結わえられた亀のむこうに青い中洲が描かれています。白い帆が浮かび、遙か遠くに富士山も見えます。