〈説明〉
アクセント表示の方法や指定理由につきましては、NHKのアクセント辞典にも解説がありますように、日本語の長い歴史や地域による違い、時代による変化など、さまざまな事項について多くの先人が研究編纂したものを資料とし、多くの有識者を交え慎重に検討し、また十数年おきに見直しを重ねてNHK放送文化研究所が出版した内容に基づいています。「第一音節と第二音節では必ず音程が変わることを原則とする」とありますが全国の言葉を見渡してみると、必ずしもそうではありません。関西では一音目と二音目の音高が変わらないことが多いですし、関東でも、エ¬イガ(映画)をエーガ(無アクセント)という人が多いです。しかし第一音節と第二音節で必ず高さが違うことは、常に単語の頭が分かるという優た機能を持っています。「ニワニワニワトリガイマス」これを無アクセントで話すと「二羽、庭には鳥がいます」「庭には二羽鳥がいます」「庭には鶏がいます」どの意味なのかはっきり伝わりません。各単語の頭で音程を変えてアクセントをつけることにより
「ニ¬ワニワニ¬ワトリガイマ¬ス」
「ニワニ¬ワニ¬ワトリガイマ¬ス」
「ニワニ¬ワニワトリガイマ¬ス」
となって意味がはっきりします。またこのように各単語の頭で音程を変えて話す人が多いということからも、これを「原則」つまり取り決めたわけです。
また音の高さの変わり目に促音(ッ)や撥音(ン)、長音(ー)など不都合な音が来た場合は「その音の前で変わることが法則である」とありますが、これは「法則」ですから、編纂者が勝手に決めたわけではなく、多くの資料から実際に使われている言葉を総合して導き出した法則です。なお、イタ¬ッて(至って)については、イタ¬りて(至りて)のアクセントがそのまま写ったものと私は考えます。
ここからは百パーセント私個人の考えですのでそのつもりでお聞き下さい。
第二音節から必ず変わるといいますが、促音の場合、人によって意識が異なるのではないかと思います。例えば「一階」と「一
回」の場合、アクセント辞典では「イッカイ」と「イッカ¬イ」になりますが、私の感覚では「一階」を「イッカイ」と表した方が実感と合っているように思えてなりません。第二音節から必ず変わるという原則からは外れてしまいますが、私の感覚では「チャ」「シュ」「ヒョ」などの拗音が一音節の立場であるように「イッ」も一音節の性格を持っているのではないかとも思えるのです。「チャ」は「チ」でもなければ「タ」でもありません。しかし「イッ」の発音は「イ」そのものです。その後に続く音との間に無音の時間が有るということで、この無音の時間を第二音節とすることに無理があるのではないかと思うのです。言葉のリズム・拍子の立場からみると、この無音の時間を一音節分として考えることに何の異論もありませんが、アクセントとリズムとは別のことと考えるべきではないかと思います。リズムの上では「イ」の次は「無音の時間」ですが、アクセントの立場では「イ」の次は「カ」だと思うのです。
しつこくもう一つの例を挙げます。音の変わり目に「ッ」が来た時「ッ」の前で変わるという法則も「サンカク¬ケイ」(三角形)が「サンカ¬ッケイ」(三角形)となるのも腑に落ちません。「サンカッ¬ケイ」で良いのでは?
これらの疑問が促音の場合のみでなく、他にも存在すれば話は変わっていたでしょうけど、促音の場合だけなので無視されたのだろうと思います。
ここまでの私の勝手な解釈はいかがでしたか? とても一般的には受け入れられないと思いますが、面白いと思って下されば幸いです。ご質問をお寄せ下さった方には、よくこそ気付いて下さったと感謝の気持ちでいっぱいです。お陰様で私の説を述べさせていただくことができました。ありがとうございます。
ここからはまた常識の範囲で述べさせていただきます。
アクセントの問題でいつも気になっていることが二つあります。一つは「長音」と「渡り」の関係です。例えば「勝敗は」は「ショーハイワ」が普通ですが最初の「ショ」が長めになると、「ショーーハイワ」となるので「渡り」と思われ、減点される場合があるようですが、この場合、渡った証拠がありません。「涼に」を「セイーリョーニ」と発音すれば明らかに「セイ」と言った後に音程が上がったので「渡り」となりますが、「勝敗は」の場合「しょーうはいは」と言ったつもりならば「ショーーハイワ」となるので「渡り」とは言えません。もう一つは「中高(なかだか)」のうち「中2高」以上に長い場合の、審査における勘違いです。例えば、「ウタゴーラ¬クワ」(疑うらくは)のとき「ドミミミファミミ」という間違いがよくありますが、「ファララララファファ」と聞いて、「ウタゴーラクワ」の「ラ」が上がったと思い込み、減点してしまうことが多ようです。その音だけ強めに読むと高くなったと勘違いするためです。アクセントはあくまで音程です。強弱に惑わされては厳正な審査はできません。