公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2021年7月




林羅山「武野の晴月」
(はやしらざん
ぶやのせいげつ)


漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。


 林羅山(一五八三~一六五七)は江戸初期の朱子学者です。家康に認められて侍読となり、幕府の諸法度のおおかたを草案し、江戸幕府三〇〇余年の精神的な支柱を定めました。朱子学は、中国宋の時代に起こった学問です。それまでは孔子・孟子に関する書の訓詁・注釈が主だったのに対して、宋では天地万物の原理や人間の本性を極めました。周敦頤(字は茂叔、号は濂渓)、程明道・程伊川(二程とも言う)などの学者が出て、その説を集大成したのが南宋の朱子(朱熹)です。そこで朱子学と言います。

 羅山はのちに世襲となる大学頭林家の始祖です。朱子学を基本にしつつ、陽明学や仏教学、和学にも通じて、詩文も能くしました。詩文の大切さを次のように言っています。

「聖人歿して千有余年、独り周茂叔のみ其の伝を得たり。而して道統の著述を作り、以て二程に授け、且つ吟風弄月の楽しみ有り」。

 孔子も詩を大切にし、息子に「詩を学ばずんば、以て言う無し」と教え(『論語』季氏)、また弟子たちに向かって、「小子何ぞ夫の詩を学ぶ莫きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て羣すべく、以て恨むべし。之を邇くしては父に事え、之を遠くしては君に事う。多く鳥獣草木の名を知る」(『論語』陽貨)と言っています。詩は、道徳的資質を涵養する大切なものと考えられ、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(『論語』泰伯)とも言っています。羅山はその道統をしっかり受け継いでいるわけです。

『林羅山詩集』(七五巻)には五千首の詩が収められています。今回はその一つ。江戸の学者の詩、と聞くと、説教じみた堅苦しい詩、と思いがちですが、羅山の詩は決してそうではありません。武蔵野の秋の明月を洗練された表現に託して詠います。題の「武野」は武蔵野です。詩中には「武陵」と言います。

  武野晴月    武野の晴月
 武陵秋色月嬋姸 [武陵の秋色 月嬋姸]
 曠野平原晴快然 [曠野平原 晴れて快然たり]
 輾破靑靑無轍迹 [青々を輾破するも轍迹無し]
 一輪千里草連天 [一輪 千里 草天に連なる]

「嬋姸」は繊細で美しいさま。月や花、人などに言います。「曠野」は何もなくひろびろとした野原。「快然」はさっぱりして気持ちのよいこと。「青青」は青々とした空。「輾破」は転がる。「轍迹」は車の車輪の跡。「一輪」は月。「千里」は千里四方に広がる曠野平原を言います。

〈武蔵野の秋、月はさやかで美しい。広々とした平野は晴れわたり、心も晴ればれする。一輪の月が轍のあとも残さず青々とした空を上り、天空高く、天に連なる千里の草原を明るく照らしている。〉

 漢詩ではただ月と言えば、満月のことです。丸くて車輪のようなので「月輪」とか「月一輪」などと言います。三日月なら「眉月」「繊月」、半月なら「半輪の月」などと言います。太陽も丸いので「日輪」と言います。日本では花のことを「花一輪」「一輪の花」などと言いますが、漢詩では花に一輪とは言いません。

 ことばとことばの結合、句と句の連絡、起承転結の構成がしっかりとした詩です。月輪が空を移動しても轍の跡がないという発想もおもしろく、センスのよさが感じられます。

 羅山は「月は武野に於いて特に鮮明」(「武蔵野に月を翫ぶ」)と言い、武蔵野と月を多く詠っています。たとえば「武蔵野の草月」では「冰輪(月)が青青を輾破しても、日露の中には述も無く辺も無い」と詠い、「十一月十一日、医の了庵の宅に赴き即席に冬の月を賦す」では「冰輪輾ずる処 愈 清奇」と詠っています。

 羅山は、五山時代の詩の流れを汲み、また藤原惺窩の詩に学び、より洗練された深みのある詩を詠いました。才能豊かで感受性の強い人だったのです。

羅山は上野の忍が岡に土地を賜り、そこに私邸と家塾を建て、また孔子を祀る廟を造りました。五代将軍綱吉の時代になると、綱吉は儒学の振興を図り、上野忍が岡の林家の家塾と孔子廟を湯島に移しました。その後、寛政九年(一七九七)、そこに幕府直轄の学校「昌平坂学問所(通称『昌平黌』)」が開設されました。現在の湯島聖堂(文京区)です。大成殿には孔子が祀られ、斯文会では漢詩漢文の発展に力を注いでいます。