孟浩然「洞庭に臨む」
(もうこうねん
どうていにのぞむ)
漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。
孟浩然(六八九〜七四○)は唐代の「自然派詩人」といわれています。『唐才子伝』に拠れば、詩は興がわいてはじめて作り、すべての書き物は出来上がると破り棄て、「文章というものは、思うようにゆかないものだ」と言って、二度と集録しなかったといいます。行動も天真爛漫、人との交際も利益のためではなく、個性の解放をモットーとしたため、いつも貧乏だったといいます。
今回の作品は、杜甫(七一二〜七七〇)の「岳陽楼に登る」と並び称される傑作です。洞庭湖は湖北省の北部にある湖で、「洞庭」とは神仙の洞府という意味です。この地には神話伝説が多く伝わり、戦国時代の詩人屈原(前三四三?〜前二七七?)の神秘的な作品「九歌」の一篇「湘夫人」にも「洞庭波だち木葉下る」と詠われています。
宋の范仲淹(九九○〜一〇五二)は「岳陽楼の記」の冒頭部分で洞庭湖を「遠山を銜み、長江を呑み、浩々湯々として、横に際涯無く、朝に暉き夕に陰り、気象万千なり」と表現しています。ちなみにこの「岳陽楼の記」の最後の部分に「天下の憂えに先だちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」という文が出てきます。「後楽園」の「後楽」の出典です。
八月湖水平 [八月湖水平かなり]
涵虚混太清 [虚を涵して太清に混ず]
氣蒸雲夢澤 [気は蒸す雲夢沢]
波撼岳陽城 [波は撼かす岳陽城]
欲濟無舟楫 [済らんと欲するに舟楫無し]
端居恥聖明 [端居して聖明に恥ず]
坐觀垂釣者 [坐して観る垂釣の者]
徒有羨魚情 [徒らに魚を羨むの情有り]
〈仲秋八月、湖水がみなぎり、洲渚がみな没して湖面は見渡す限り遠く平らに広がっている。水は大空をひたし、最も高い太清天まで達して天空と湖水が一つにとけあっている。湖面からたち上る雲や霧は、雲沢や夢沢の大湿地帯にまでたちこめ、湖面にわきおこる波は岳陽の町全体をもゆり動かさんばかりである。〉
八月は仲秋で、河水の増水期にあたります。首聯(第一句・第二句)は、すがすがしい秋に、湖水は広大で奥深いと、静的に、また巨視的に捉えます。それを承けて頷聯(第三句・第四句)は、雲などが激しく立ち上る縦の動きと、町をも揺り動かす波の激しい横の動きによって、洞庭湖を動的に、立体的に、雄壮に描きます。
まさに杜甫の「呉楚東南に坼け、乾坤日夜浮かぶ」(「岳陽楼に登る」)と双璧をなす絶唱です。「雲夢沢」は洞庭湖の北方、湖北省南部に広がっていた広大な沼沢地です。「岳陽城」は洞庭湖の東北部にある町で、その西南、洞庭湖に臨んで岳陽楼があります。
後半は一転して、仕官したくてもツテがない、引き立ててもらいたいと、「情」を詠います。
〈この広大な湖を渡ろうと思っても、舟も楫もない。何もせずに、天子の恩徳あふれる御世に、ただぼんやりしていることを恥ずかしく思う。ひとり坐り、釣り糸を垂れている人を眺めていると、自分も魚を得たい、役人になって働きたいという気持ちが起こってくる。〉
「済」は川などを渡ること。ここでは政治に参加することにたとえています。「舟楫」は官職につくための方途、手づる。「端居」は、閑居して何もしないこと。「聖明」は天子のすぐれた徳。また天子をさします。『論語』衛霊公篇に「邦に道有れば則ち仕ふ」とあるように、聖明の世には出仕して天子の手助けをすることが士人のつとめとされていました。
「坐観」は、坐って何となく見る。「羨魚情」は魚をほしがる気持ち。『漢書』巻五六「董仲舒伝」に「淵に臨んで魚を羨むは、退いて網を結ぶに如かず」とあるのに基づきます。魚を得たいと思うより、退いて網をつくろう方がよい、つまり、仕官するより隠棲する方がよい、というのです。ここは魚を得たい気持ちが「空しく有る」といいますから、「魚を得る才覚もなく、魚を得る努力もしないのに、魚をほしがる気持ちだけはある」という屈折した思いが揺曳します。不遇で孤独な作者が見えてきます。前半がスケールが大きくダイナミックなだけに、不遇感・孤独感が際だちます。