趙嘏 「江楼にて感を書す」
(ちょうか こうろうにてかんをしょす)
漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。ときには和歌も取り上げたいと思います。
趙嘏(八〇六?〜八五二?)は山陽(江蘇省淮安市)の人で、会昌四年(八四四)の進士、大中年間(八四七〜八六〇)渭南(陝西省)の尉になりました。かつて七言律詩「長安晩秋」の頷聯
殘星幾點雁横塞 [残星幾点 雁は塞を横ぎり]
長笛一聲人倚樓 [長笛一声 人は楼に倚る]
が杜牧(八〇三〜八五二)に激賞され、人々に「趙倚楼」と呼ばれました。官途には恵まれませんでしたが、詩名は高く、「江楼にて感を書す」は趙嘏の代表作として知られています。
獨上江樓思渺然 [独り江楼に上れば思い渺然たり]
月光如水水連天 [月光水の如く 水天に連なる]
同來翫月人何處 [同に来って月を翫びし人は何処ぞ]
風景依稀似去年 [風景依稀として去年に似たり]
〈ひとり川のほとりの高殿に登ると、思いははてしなく広がる。月の光は水のように澄みわたり、水は水平線のかなたの空に連なっている。〉
冒頭から「独り」「思い渺然」と、寂しさが詠われ、その寂しさは透明な月の光のなか、きらめく水とともに天の際へと広がって行きます。「月光水の如く」「水天に連なる」と「水」を繰り返して言うことによって、水のように寂しさが静かに心に満ちてゆくようすも伝わってきます。また、第一句の「思い渺然」が「水の如く」「天に連なる」と具体的に詠われることによって、「独り」の寂しさが強調されます。
転句は前半を承けながら、かつて「同に来た人」に思いを馳せます。第一句の「独り上る」と「同に来って」は相照応して益々孤独感が強まり、第一句の「思い渺然」が効果的に響きます。明代の譚元春が「ことばの端ばしに、とどまるところを知らないすすり泣きがある」と評しているのも宜なるかな、です。
〈ともにこの高殿に登って月を愛でて楽しんだ人は、どこへ行ってしまったのか。この風景は、去年、あの人といっしょにいたときと似ているのに。〉
「月を勧びし人」の「人」は、男性という説もありますが、詩の雰囲気から女性がふさわしいでしょう。唐代の詩人の伝を集めた『唐才子伝』(第七)によると、悲しい出来事があったようです。
趙暇は浙西(潤州)にいたころ、美しい一人の女性を溺愛していました。ところが科挙を受験するため都に上っている間に、浙西節度使に奪われてしまいます。科挙に及第したのちにそのことを知った趙嘏は、悲しみのあまり詩を一首作りました。たまたま節度使がその詩を読み、哀れに思い、都にいる彼のもとへ人を介して女性を送りとどけることにしました。途中、横水駅(河南省孟津県の西)で二人は偶然に出会い、二人は抱き合い、痛哭して再会を喜びあいました。が、女性は再会の二日後に亡くなってしまいました。趙嘏は死ぬまで彼女を思いつづけ、臨終のとき彼女の姿を見た、と伝えられています。
この逸話から、女性を失ったのは会昌五年(八四五)春夏の交で、その翌年(八四六)四十一歳のときにこの詩が作られたと推定されています。
第四句の「依稀」は、彷彿としている、よく似ているさま。また、はっきりしない、ぼんやりしている、とする説もあります。上に〈この風景は、去年、あの人といっしょにいたときと似ているのに。〉と訳しましたが、内容をより正確にとらえるなら、次の二つが考えられます。
①(愛する人はいないが)風景だけは去年と同じようである
②(愛する人はいないが)風景は去年と同じで、まるで彼女がここにいるかのようである
もし①なら「風景猶方似去年(風景猶ほ方に去年に似たり)」でもよく、意味が取りにくい「依稀」を用いる必要はないのではないか、と思います。あえて「依稀」と言ったのは、②のように、まるで彼女がいるかのようだ。と言いたかったからではないか。冒頭から孤独の悲しみを詠っていますから、第四句は、彼女はいないが、去年と同じ景色を眺めていると、彼女が傍らにいて一緒に見ているようだ、という方が、詩としてはおもしろく、思いがより美しくなるように思います。
読者の皆さんの「思い」はいかがでしょうか。