公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
Nippon Ginkenshibu Foundation
News
English Menu
漢詩を紐解く! 2021年1月




新井白石 「容奇」
(あらいはくせき ゆき)

漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。


 新井白石(一六五七〜一七二五)は、江戸中期の儒学者・政治家。「容奇」は、漢字の音を借りて日本語の「ゆき」を表したものです。言い伝えでは、訪ねた先の主人が「容奇」の二字を書いて詩を求めたので、即興で作ったといいます。『白石詩草』『白石先生餘稿』には収められていません。
 「容奇」は、漢文的に読むと「奇を容る」です。すぐれたことを盛る、という意味です。まさにこの詩は、都や山や里の雪を描きながら、悲しみや心の強さ・美しさを詠います。

 曾下瓊鉾初試雪 [曽て瓊鉾を下して初めて雪を試む]
 紛紛五節舞容閑 [紛々たる五節 舞容閑なり]
 一痕明月茅渟里 [一痕の明月 茅渟の里]
 幾片落花滋賀山 [幾片の落花 滋賀の山]
 提劒膳臣尋虎跡 [剣を提げて膳臣虎跡を尋ね]
 捲簾清氏對龍顔 [簾を捲いて清氏龍顔に対す]
 盆梅剪盡能留客 [盆梅剪り尽くして能く客を留め]
 濟得隆冬無限艱 [済ひ得たり 隆冬無限の艱]

 第一句目は神話の時代、雪が初めて降ったことを詠います。「瓊鉾」は玉飾りの矛で、『古事記』では「天の沼矛」とあります。イナキノミコトとイザナミノミコトが矛を海水の中に下して掻き鳴らし、引き上げるときにしたたり落ちた海水が積もって島になったとあります。二神はさらに国土や諸神を生み、風や木の神などを生みます。詩ではそのとき雪が初めて生まれた、といいます。

 第二句は都に降る雪。大嘗祭などの宮中の行事には、公卿や国司の子女によって「五節の舞い」が舞われました。その様子は、紛々と交錯しながらも静かで雅やか。雪のふるようすもまさにその舞いと同じ、といいます。この舞いは、天武天皇が吉野に詣でたおりに琴を弾くと、前方の山に女神が現れ、曲に合わせて舞ったのに始まるといいます。

 第三句は「茅渟の里」に積もる雪。奈良時代元正天皇のころ、今の大阪府和泉市付近に、海の離宮「茅渟宮(和泉宮)」が建てられ、この離宮を中心にして特別行政区が置かれていました。詩では、その「茅渟の里」を明るく照らし出す月の光によって、降り積もった雪が輝くように詠われます。

 第四句は滋賀の都と長等山にハラハラと舞う雪。「幾片の落花」は舞い散る桜の花です。滋賀の山に降る雪は、桜の花びらが舞うようだ、と。桜と滋賀の山から、平忠度(二四四〜二八四)の歌「さざ波や滋賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」が思い浮かびます。忠度は一ノ谷の合戦で討ち死にし、その報が伝わると敵も味方もみな「いとほしや。歌道にも武芸にも達者にてましましつるものを」と涙の袖をしぼったといいます(『平家物語』巻九)。『千載和歌集』には、忠度が朝敵であったため、「詠み人知らず」として入集しましたが、みな忠度の歌と知っていました。

 忠度の歌は、人の世のはかなさを詠います。詩の第四句で忠度を想起すると、片々と舞う花も雪も、人の世を悲しんでハラハラと流す涙のように見えてきます。第三句の「茅渟の里」も、宮殿の無くなったあとに残る白砂と化し、そこに静かに積もる雪となって、人の世のはかなさが冷たく心にしみてきます。

 第五句は、一転して、上代の勇将・膳臣巴提便。欽明天皇(五一○〜五七一)の六年(五四〇)、百済に使いしたとき、子供が虎に食い殺されたので、雪に残された足跡を尋ねて虎の岩窟をつきとめ、虎の舌を掴んで刺し殺し、仇を討ったといいます(『日本書紀』)。

 第六句は「清氏」、清少納言の故事。『枕草子』に、中宮定子に「香爐峯の雪いかならん」とたずねられた清少納言がすかさず「御簾を高く上げ」て称賛されたことが記されています(二九九段)。
「龍顔」は天子のお顔。

 第七句・第八句は、最明寺入道、北条時頼(一二二七〜二六三)の「鉢の木」伝説を踏まえます。時頼が諸国行脚の帰途、上州で雪に降りこめられ、佐野源左衛門尉常世の家に一夜の宿を借りました。常世の家は貧しくて薪がなかったのですが、秘蔵の梅・松・桜の鉢の木を焚いて暖を取り、その難儀を救いました。

 深い学識と詩的センスが光ります。詩形は七言律詩です。