広瀬淡窓「桂林荘雑詠諸生に示す」「隈川雑詠」
漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。
広瀬淡窓(一七八二〜一八五六)の詩を二首読みます。広瀬淡窓は江戸時代末の学者・詩人で、名は建、字は子基、淡窓は号です。
号はほかにも苓陽・青渓・遠思楼主人などがあります。 豊後(大分県)日田の人で、二十六歳のとき私塾「桂林荘」を開き、入門者が
次第に増え手狭になったため、十年後に「咸宜園」を新築しました。
入門者は四千人に達し、高野長英や大村益次郎ら多くの俊英を輩出しました。
「桂林荘雑詠」は、郷里を離れ桂林荘にやって来ている学生たちに、ともに暮らしともに学ぶ楽しみを諭す詩です。「桂林」とは桂樹のた林。学徳の高い人たちの集まりに喩えます。「雑詠」はいろいろな事物や季節を詠うこと。四首連作の其の二です。
桂林荘雑詠示諸生 桂林荘雑詠諸生に示す
休道他鄕多辛苦 [道うことを休めよ 他郷苦辛多しと]
同袍有友自相親 [同袍友有り 自ら相親しむ]
柴扉曉出霜如雪 [柴扉暁に出ずれば 霜雪の如し]
君汲川流我拾薪 [君は川流を汲め 我は薪を拾わん]
第四句を「君は川流を汲み我は薪を拾う」と読むことも可能ですが、第一句で「道うことを休めよ」と、目の前の学生に向かって直接言う表現になっていますから、最後も直接話法で「〜汲め〜拾わん」と読む方が落ち着きます。
第二句の「同袍友有り」は綿入れの着物を貸し借りする友がいる、「自相親」は自然に仲よくなる、ということ。だから「道うこと
を休めよ他郷辛苦多しと」、よその国で勉強するのはつらいと弱音を吐くのはやめよ、というのです。「辛苦」は春夏秋冬・朝昼晩いつでもありますが、綿入れの「袍」は、詩の後半で、寒いなか食事の用意をする冬の早朝の「辛苦」を導き、強調するためです。もちろん、その「辛苦」は、巧みな表現によってみごとに解消されます。
第三句の「柴扉」は柴を編んだ粗末な門。学生たちが門を飛び出すと、霜が雪のように真っ白に降りています。先輩が白い息を吐
きながら、後輩に指図して「君は川の水を汲んで来てくれ、私は薪を拾ってくるから」。冷たい空気がピーンと張りつめているなか、若者達の活気があふれ出します。みんなで助け合う共同生活の楽しさ、みんなで食べる朝食のおいしさ、食のあとの勉強の楽しさが、暖かく伝わってきます。「隈川雑詠」の「隈川」は、三隅川のことで、日田の町を東西に貫流し、下流は筑後川となります。支流には玖珠川、花月川などがあります。詩は五首連作の其の五。
隈川雜詠 隈川雑詠
觀音閣上晩雲歸 [観音閣上 晩雲帰る]
忽有鐘聲出翠微 [忽ち鐘声の翠微を出ずる有り]
沙際爭舟人未渡 [沙際 舟を争うて 人未だ渡らず]
雙雙白鷺映江飛 [双々の白鷺 江に映じて飛ぶ]
「観音閣」は日田の北郊にある慈眼山永興寺の観音堂。「晩雲」は夕暮れの雲。夕焼けの紅い色を連想させます。中国では雲は山の
洞から出、夕暮れにその洞に帰ってくると考えられていました。「忽」は、思いがけなく、たまたま、の意。「翠微」は山の中腹。「翠」は緑です。観音堂の上を雲が帰ってゆく夕暮れ、鐘の音が山の中腹から響いてきた、と隈川の景色を視覚と聴覚に訴えて立体的に描きます。
後半の「舟を争う」は我先に舟に乗ろうとすること。「雙雙」は二羽。雌雄一対をいいます。「映」は二つの色彩がコントラストをなして鮮やかに際だつこと。ここは川の水の碧と鷺の白とが互いに引き立てあっていることをいいます。 家路を急ぐ人々が先を争って舟に乗り込むため、なかなか舟が出発できないのをよそに、つがいの白鷺が川面に美しい姿を映しながら、仲良く悠々とねぐらへと帰って行きます。
紅い夕焼け雲と緑の山、そして白い鳥と碧の川。杜甫の「絶句」に「江碧にして鳥 途 白く、山青うして花然えんと欲す」と詠われ
ている景色に似ています。人の世の営みをよそに、まさに「自ずから然る」、清らかで美しい自然です。さらにこの詩では、寺の鐘の
余韻がいっそう奥深い趣きを添えています。