〈説明〉
普通に街を歩く時、ラジオ体操のように両手を大きく振って膝を高くあげて歩く人はほとんどいません。ごく稀に、運動のため大股で、 両腕を大き振って歩く人を見かけることはありますが、これは例外です。最近は高齢者の転倒防止のための体操が盛んですが、体操をすることにより、引き摺り気味の足先がわずかに浮き上がるため、けつまずいて転倒することが少なくなり、また転んでも咄嗟に手でかばうなど、体の動きをよくする効果があります。この例のように基礎訓練が違った形で効果を表すことは意外と多いことと思います。つり下げたロープを腕だけで登る訓練を見て、体操競技や救助隊の訓練を思い起こすことは容易ですが、腹筋の訓練を見て、歌の基礎訓練だとすぐに理解する人は少ないでしょう。 あお向けになって、腹筋運動をしながら歌うという歌い方は一般的ではありませんから。
ご質問の、発音・発声訓練の重要な点は、口腔を動かす訓練であるということです。二人の人が同じように精一杯口を広げ、同じ音程で『アー』と声しても同じ音にはなりません。「精一杯開く」ということで開く方の限度、つまり「行き止まり」まで開いている状態なので他の母音と比べればよく似た音になっているはずですが、厳密には異なる音と言わなくてはなりません。なぜなら口腔の大きさ、形を全く同じにすることはできないからです。 ましてや他の母音は『ア』と異なり、皆、中途半端な口腔の形ですから、人それぞれの形で発声するので、中には別の母音かと思わせるような発音も聞かれます。
人それぞれの母音が一般的に通用するということは、同じ人が複数種の『オ』『エ』を使用しても通用するということです。もちろん一つの母音を延ばして発声する時、途中で変化させることは禁物です。 他の言葉に聞こえてしまうからです。
重さや長さの標準器はありますが、日本語の正しい母音はコレ! という決まった標準音があるわけではないので、極端なはなし、『オに近いア』から『エに近いア』まで、全てが『ア』として通用するのです。 これは他の母音も同じことです。 つまり口を最大限に開いた『ア』が一番正しい『ア』であるという根拠はないのです。 他の母音も同じことです。ただし、上下の歯を閉じるか開くかは、母音の聞こえ方に大きな違いがあり、この点はどうでもよいというわけにはいきません。『イー』と発音しながら歯を1ミリ開いてみましょう。開いたとたんに『エー』となってしまいませんか? 開閉を何度か繰返すとより一層分かりやすくなるでしょう?
結論は『正しい母音は無い』ということです。発声している人の意図が聞く人に伝わったかどうかが重要であり、基礎訓練で身に着いた母音であるかどうかは二の次三の次。あなたの指導者は正しいアドバイスをしていると思います。 例えば『ア』に関しては、口を全開にすれば声量が大で明るく響きますが品なくなります。逆に口を半開にした場合は品は保ち、意味ありげに聞こえますが、曇った響きで声量も期待できません。どちらを選択するか、あるいはその中間を選ぶか、それを決める拠り所は詩文しかありません。どのような詩文のときにどのような声で吟ずるか。それを判断するためには普段から詩文の素読を繰返すことが重要です。その時に大切なことが、『表情豊かに読む』ことです。 これも基礎訓練の一つです。
吟詠に必要な基礎訓練としてよく行われているのが陰音階をなぞる発声練習。質問にもありました母音・子音の発声練習。この二つはよく行われますが、コンダクターなどの練習機の音程とよく比べながら声の音程を管理しているかどうかも大切なことです。ピアノやコンダクターのようなキーボード楽器は常に正確な音程を奏でてくれますが、バイオリンやトロンボーンのような、自分で音程を作らなくてはならない楽器の場合、世界的名演奏家といえども、普段から音階を繰り返し繰り返し練習することが当たり前とされています。声の場合はさらに自由度、不安定要素が多く、なおさら基礎訓練が重要な種目です。因みに去年の合吟コンクール優勝チームは、全員の音程が正確であったことが大きな勝因でした。
また、前述の腹筋トレーニングによって呼吸と発声の安定を確保する。新聞を黙読でなく音読、つまり声を出して読む。この時表情豊かに読むことを習慣としその読み方を身に付けることで自然と適切な発音で吟ずることを目標にする。コブシの基礎訓練として、ド・・・シ・・・ドシラ・・・・・・ シ・・・ラ・・・シラファ・・・・・・ ラ・・・ファ・・・ラファミ・・・・・・などの節回しをコブシとして身に着ける……など基礎訓練は楽しくないけど重要です。