公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2020年5月

蘇軾「望湖楼酔書」「湖上に飲す」

漢詩は学ぶほどにその魅力にとりつかれ、味わい深くなります。
毎回何首かの詩を取り上げ、奥深く豊かな詩の世界を少しだけ解きほぐしてみたいと思います。
出来る限りテレビやラジオの演目に合わせて詩を選びますので、吟詠の一助にお読みいただければ幸いです。
ときには和歌も取り上げたいと思います。


 「望湖楼酔書」は、熙寧五年(一〇七二)六月二十七日、西湖のほとりの望湖楼で酔いにまかせて作った作品です。 蘇軾37歳、杭州通判(副知事)として赴任していました。

  望湖樓辞書
黑雲翻墨未遮山 [黒雲墨を翻して未だ山を遮らず]
白雨跳珠亂入船 [白雨珠を跳らして乱れて船に入る]
卷地風忽吹散 [地を巻き風来たって忽ち吹き散ず]
望湖樓下水如天 [望湖楼下 水天の如し]

 前半は対句で、比喩を巧みに用いています。みるみる空をおおう黒い雲を「墨を翻し」と、墨壺をひっくり返したときの墨に喩え、「未だ山を遮らず」と、一方の空が明るい状態の、にわか雨の降りだす瞬 間を捉えます。「白雨」はにわか雨。明るさが残っていますから激しく降る雨が白くはっきり見えます。雨は湖面全体に降りますが、蘇棋の眼は近景の船を捉え、「珠を跳らして乱れて船に入る」と、雨粒をばらまいた真珠に喩え、ばらばらという音まで表します。
 やがて大地を巻き上げんばかりに狂風が吹きます。雲が流れ、またたく間に晴れ渡り、穏やかな水面が広がります。「水天の如し」は、水も空も「青一色」ということ。激しい雨と風で心が動揺したあとだけに、嘘のように静まりかえるなかの透明な「青」です。前半の、激しく動く遠景の黒・近景の白、激しい音とせばまる視界から、一転して後半は、風の動から静寂・透明な青、広がる視界と、夏の夕 立を立体的に描いています。
 蘇軾は翌年の正月二十一日、西湖に船を浮かべて宴を開きます。初めは晴れていましたが、後に雨が降りました。

  飲湖上  湖上に飲す
水光瀲灔晴偏好 [水光瀲灔として晴れ偏えに好く]
山色空濛雨亦奇 [山色空濛として雨も亦奇なり]
若把西湖比西子 [若し西湖を把って西子に比せば]
淡粧濃抹總相宜 [淡粧濃抹総て相宜し]

前半は対句です。「水」と「山」を対比させ、「瀲灔」「空濛」と、語尾のそろう畳韻の語で調子をととのえています。第一句目は晴れているときの西湖。さざ波が日の光でキラキラ輝き、周りの景色も彩り美しく、「偏えに好し、格別によい、と言います。第二句は雨の西湖。湖面には霧雨がモヤのようにこめ、まわりの山はぼんやりかすんでいます。雨が降って何も見えないとがっかりしますが、蘇軾は雨でも「亦奇」、またひときわすばらしいと、雨の景色も風情があると称えます。
 後半は、西子を引きあいに出し、西湖は、晴れているときは「濃抹」、丹念に化粧した西子のよう、雨のときは「淡粧」、あっさり化粧した西子のよう、と湖を女性に喩えます。西子は春秋時代のこの地方の出身で、西施とも言います。  西子は誰もが知る絶世の美人。胸を病んだとき、胸に手をあて眉を顰めてさえも美しく、風情があったといいます。ですから、さらに美しくなるための化粧なら、淡粧でも濃抹でも「総て相宜しい」ということになります。それと同様に西湖も、その美しい景観は晴れても雨が降っても風情がある、「総て相宜しい」と言うのです。「西湖」「西子」と語呂もよく、化粧の比喩も絶妙で、つい納得してしまいます。西湖が大好きという蘇批の気持ちも伝わってきます。
 ちなみに、西子が眉を顰めた様子を見たある女性が、自分も眉を顰めれば美しく見えると思い、胸に手をあて眉を顰めたところ、金持ちは二度と出会うまいと門を堅く閉じて外出せず、貧乏人は妻子を連れて村から逃げたといいます(『荘子』天運篇)。本質を見抜けず表層をまねる愚かさを言う有名な寓話で、「顰みに倣う」「西子捧心」の出典です。「顰蹙を買う」もあります。
 蘇軾は元祐四年(一○八九)54歳のとき、知事として再び杭州に赴任します。荒れはてた西湖を見て水利と美観をかねて大改修し、堤を築きました。その「蘇堤」は今も西湖の水面に美しい影を浮かべています。