〈説明〉
吟詠舞台を鑑賞される方のほとんどが吟詠にのみ集中し、尺八にはほとんど興味を示さない中、質問者は随分事細かに尺八の伴奏内容を聞き分けていると思います。ご自身が尺八を吹かれることを差し引いても余る、優れた音感覚をお持ちです。
まず、盛りだくさんで吟の節に沿った伴奏は、吟詠初心者のための伴奏です。初心者にも何段階かの差があり、全くの初歩の段階ではの節の大筋すら身に付いていない方があり、各区切りごとの出だしに先んじて二分の一秒位前に次の節を聞かせるように心掛けます。また、音程の不確かな場合にも吟の節を盛りだくさんに演奏します。音程のガイドならば吟の節を演奏しなくても、主音や、和音に基づく音を長く延ばす形の伴奏がよいのでは……と思われるでしょうが、音程の不確かな方は伴奏そのものを聞いていない場合がほとんどで、長く延ばした音が吟の音程とどう関係があるのか、聞こえていても役に立たないと思いますので、吟の節をそのまま演奏するのです。
この伴奏のよいところは、初心者でも安心して吟じられること、音程が心配な方も大きく音程を外すことが少なくなることですが、欠点として、吟を聞きたいと思っている会場の聴衆にとって、尺八が邪魔な存在になることです。 特にマイクの音量の設定が尺八の方に偏っている場合など、なおさらうるさい尺八となります。
この伴奏の方法は、『ベタ付け伴奏』といわれ、吟よりわずかに遅れて吟の節を演奏する『後追い伴奏』とともに、昔から吟詠・民謡の伴奏として一般的に行われてきました。
しかし、近年では吟詠の音楽性が求められるようになり、『ベタ付け』『後追い』だけでなく、吟詠のハーモニーに基づく音を選んで尺八伴奏が行われるようになってきました。吟詠で用いられるハーモニーは、主に、ラドミ・レファラ・シレファ・シミですが、尺八は単音楽器、つまり単独ではハーモニーを構成することはできません。そのため吟声と尺八とでハーモニーを構成する方法で伴奏します。例えば、吟声が『ドミー』の時は尺八で『ラー』を吹きます。吟声が『ファラー』の時は『レー』と吹き、吟声が『ラシー』 の時は『ミー』 か『ファー』を吹きます。また承句や結句の第一節のように吟声が『シー……』と延ばしている時などは『シレファレー』のように『シレファ』のハーモニーをたどった節を演奏します。この時『シ レ フ ァ』の和音が完全に出来上がっているわけではありませんが時間差で三つの音が顔を出すので、脳では和音として感じています。このような音を『分散和音』と呼び、ほとんどの楽器がこの手法を用います。
もう一つの伴奏法として『言葉と尺八を重ねない』という方法があります。例えば、『去年の……今夜……清涼に…… 侍す……』という吟には『....」の部分にのみ伴奏をし、一瞬たりとも言葉に尺八が重ならないようにするのです。 この方法ですと、尺八が強めの演奏をしても言葉が分らないということが起きません。 前述のようにマイクの音量設定が、尺八のほうが大となっていても、あまり心配がいりません。
尺八を控える時は他にもあります。技術的に極めて高度な吟詠に伴奏を付ける場合、白然と転句の第一節を無伴奏にしてしまうことがあります。吟声のみで完璧な音楽になっているため、尺八の人る余地がないのです。つまり、尺八を入れると、かえって邪魔することになるのです。
一般吟と企画吟とではまた奏法が違います。企画吟では内容、詩情が重要ですので、吟題によって、強く、柔らかく、悲しく、明るく、幽玄な演奏をします。
これまで述べてきたことを基本方針に、大会一日、伴奏を続けますと、最初のうちは初心者が多く、尺八は盛りだくさんの伴奏となり、中ごろはハーモニー伴奏と、ベタ付け奏法を織り交ぜ、終盤は高段位になるため、ほとんどハーモニー奏法と言葉に重ならない奏法を織り交ぜるので、自ずと盛りだくさんから簡素な伴奏へと移行していくのです。確かに後半は疲労困ぱいですが、そのために伴奏が簡素になるのではありません。あくまでも吟の状態に対応する結果なのです。