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漢詩を紐解く! 2024年11月


梁川星巖やながわせいがんいち谷懐古たにかいこ


 今回も一の谷の戦いの詩を読みます。作者は、江戸時代の梁川星巌(一七八九~一八五八)です。古戦場に立ち、昔の凄惨な戦いに思いを馳せます。



二十餘春夢一空[二十余春夢一空にじゅうよしゅんゆめいっくう
豪華吹散海𤲬風豪華吹散海𤲬ごうかふきさんずかいぜんかぜ
山排殺氣參差出[やま殺気さっきはいして参差しんしとしてで]
潮迸冤聲日夜東[うしお冤声えんせいほとばしらせて日夜東にちやひがしす]
憶昔滿宮悲去鷁[おも昔満宮去鷁むかしまんきゅうきょげきかなしみ]
欲將往事問飛鴻[往事おうじって飛鴻ひこうわんとほっす]
斕斑剩見英雄血[斕斑剰らんぱんあま英雄えいゆう
塹樹鵑啼朶朶紅[塹樹鵑啼ざんじゅけんないて朶朶紅だだくれないなり]



 〈平家二十余年の春は夢のようにはかなく消えさり、海からの風に栄耀栄華も吹き尽くされてしまった。いま、山々は殺気を押し分けるかのように靄を拝して高くあるいは低く突き出て、荒波は平家の人々の怨みを込めるかのように日夜都のある東へと流れている。船に乗って逃れた安徳天皇の御心はいかばかりであったろうか、宮人みやびとがみな悲しんだように、私も昔を想い、空高く飛ぶおおとりに往事のことを尋ねてみる。ここで流された英雄たちの鮮血はおびただしかったに違いない。とりでの跡と思われるあたりには、杜鵑とけんが血を吐いて染めた真赤な花が枝もたわわに咲いている。〉


 前半は、驕れる平家の栄華が春の夜の夢のように儚く消え去り、一の谷の古戦場に立ちこめる靄は殺気をこめるように山すそに漂い、海の荒れる波に平家の怨みがこもっているようだと言います。後半は、一の谷の戦いに敗走した安徳天皇や宮人に思いを馳せ、往事の様子を空飛ぶ鴻に尋ねます。鴻は塁のあった方へ飛んで行きます。するとそこには、多くの兵士の血に染められたように真赤な花が咲いています。血を吐きながら鳴くという杜鵑も鋭く鳴いて悲しんでいます。


 一の谷の戦いの後、屋島の戦い、壇の浦の戦いがあり、安徳天皇は祖母二位の尼に抱かれて海中の長生殿に赴かれましたが(本連載第50回)、第五句の「憶う昔満宮去鷁を悲しみ」は、詩題が「一の谷懐古」ですから、一の谷の戦いに敗れて安徳天皇が船に乗って屋島に逃れることを言います。「鷁」は龍頭鷁首の船、天子(天皇)の御座船ござぶねを言います。


 鵯越の奇襲のあと館に火がかけられ、宮人は慌てふためいて船に乗りこみます。その様子はどうだったのでしょうか。松尾芭蕉(一六四四~一六九四)はこの古戦場を訪れて『おい小文こぶみ』に次のように往事を想像しています。



 そののみだれ、その時のさわぎ、さながらに心に浮び、おもかげにつどひて、二位の尼君あまぎみ皇子みこをいだき奉り、女院にょいん御裳裾おんもすそ御足おんあしもつれ、舟屋形ふなやかたにまろび入らせたまふ御有様、内侍ないしつぼね女嬬にょじゅ曹子ぞうしのたぐひ、さまざまの御調度おんちょうどもてあつかひ、琵琶・きんなんど、しとね蒲団ふとんにくるみて船中に投げ入れ、供御くごはこぼれてうろくずとなり、櫛笥くしげは乱れて海士あまの捨て草となりつつ、千歳ちとせの悲しびこの浦にとどまり、白波の音にさへうれい多くはべるぞや。



 『平家物語』では、逃れた雑兵が船に取りつくと、身分ある人が優先と、太刀たち長刀なぎなたで腕をうち切られ肘をうち落とされ、渚に倒れ伏して呻き叫ぶ声夥しく、海に沈んだ者は数知れず、陸にさらした首の数は二千余、一の谷の小笹おざさの原の緑の色も血に染まって薄紅になった、と言います(巻九「平家海上に浮かばるる事」)。


 詩中の「海𤲬」は海岸。「𤲬」は水のほとり。「斕斑」は美しいさま。「あまし見る」は「ただ見る」の意です。梁川星巌は歴史を題材として詠う「詠史えいし」を得意としていました。