〈説明〉
最初に、この助詞の読み方に関することがコンクールの審査項目にはないことを申し添えておきます。
今回のご質問には二つの項目が含まれていることを理解していただく必要があります。
一つは日本語の読みが二音節一拍で進行する習慣があるので、3–1の読み方ではリズムが崩れてしまうこと。もう一つは「て・に・を・は」などの助詞を丁寧に詠もうとするとき、奇数番目つまり強拍部にあってもぶっきらぼうにならないように、弱声を用いたり助詞の前でいったん切るなどの工夫が必要であること。そして肝心なことは、この二つの項目はどちらも必要なことで、しかも相矛盾することではないことを理解してください。
一番の問題点は、平成になってから、詩文を3–1のリズムで詠む人が増えてきたことです。しかも年を追うごとに益々増えてくることに気付き、講習や「吟と舞」などでその不都合さを述べてきました。すると私の講演を聞かれた方から2・3件のご意見をいただきました。そのどれもが「舩川利夫先生からの指導」「助詞を丁寧に詠む」という内容でした。その時点ですでに舩川先生はいらっしゃいませんでしたので、ご本人に尋ねることもできずにおりましたが。今回同じ内容と思える先生の教材を教えてくださいましたので、確信をもって説明させていただくことが出来ます。
助詞を丁寧に詠むために3–1のリズムになるというのは間違いです。先生の説明は、「助詞の前でいったん切って(間をおき)、助詞に感慨をこめ、印象を強くする」ということであって、「助詞の前の音節を伸ばせ」とは仰ってないのです。これは私が信じた通りでした。
私がこれまでに想像していましたのは、「助詞を丁寧に発音しよう」とするあまり、発音のタイミングが遅れるのだろうと思いました。そしてその吟を聞いたお弟子さんが「て・に・を・は」は遅らせないといけないのだと思い込み、「遥かに」を「ハルカーニー」と吟じてしまうのだろうと想像したり、助詞とその前の単語を分けて読んだ方が良いと思っているのではないかとも想像しました。今回舩川先生の教材の内容を教えていただいたおかげで長年の謎が解けました。「助詞の前でいったん切って(間をおき)」を実践しようとした結果「助詞の前の音が伸びる」ということになったのだと解りました。
「助詞の前でいったん切る」を実践できている人は少ないです。以前ある吟詠家の承諾を得て、「助詞の前でいったん切る」お手本の吟を講習会の場でご披露しましたが、吟界で流行ってしまった3–1の読み方はなくなりません。昭和の吟詠に3–1の読み方はありませんでした。皮肉なことに研究熱心な一部の方の勘違いから広まった不都合と言えるでしょう。
当時、良くない例として「折楊柳」の一部から「一枝を折る」を例に挙げました。上手といわれる吟詠家の中にも「イッシーヲー」と読む人が少なくありませんでした。私は笑いをとろうとして「イッシー?池田湖?」「バンカーに閉ざさる?OB?」「ニチボーの鐘? 日紡?鐘紡?」などとボケてみたりしましたが、印象にとどめてくださった方は少ないようでした。
図1に、助詞が強拍の位置つまり表間に来る場合に助詞の直前でいったん切るという読み方をあらわしています。この場合、切らずに助詞の前の音を多少伸ばしても2音1拍のリズムはかわりません。そして図のように助詞の直前でいったん切って弱声にすれば、舩川先生推奨の感慨のこもった助詞となるでしょう。また、図2には助詞が弱拍の位置つまり裏間に位置する場合を表しています。裏間ですから無意識に吟じても強拍にはなりにくいでしょうから、よほど乱暴に吟じなければぶっきらぼうにはなりません。直前でいったん切ることができればなおよいでしょう。しかし気を付けなければならないのが、正にこの時です。助詞の前の音を伸ばしてしまうと3–1の読み方になってしまい、リズムが脱線してしまいます。×印がそれです。「コーローヲー」「ハルカーニー」「キヘイーノー」に気を付けて‼
※こちらの質問は『吟と舞』2020年8月号に寄せられたものです