李白「友人を送る」
李白の詩は、その半数以上がいつどこで作ったのかほとんど分かりません。それでいながら一読しただけで「一杯一杯また一杯」「飛流直下三千尺」「玉椀盛り来たる琥珀の光」などと、その詩句が口をついて出てきます。李白は、個別のことがらを超えて、詩のテーマを一般化し、より普遍的に詠う詩人ということができます。
李白は生涯の大半を旅に過ごしましたので、出会いも多ければ、別れも多く、旅立つ人を見送る「送別」の詩、反対に自分が旅立つときに惜別の思いを留める「留別」の詩などの別離の詩がたくさんあり、そこにも普遍化がみられます。今回は送別詩「送友人(友人を送る)」です。友人は誰かは分かりません。李白五十四歳、宣城(安徽省)での作と推定されています。
靑山橫北郭[青山北郭に横たわり]
白水遶東城[白水東城を遶る]
此地一爲別[此の地一たび別れを為し]
孤蓬萬里征[孤蓬万里に征く]
浮雲遊子意[浮雲遊子の意]
落日故人情[落日故人の情]
揮手自茲去[手を揮って茲より去れば]
蕭蕭班馬鳴[蕭々として班馬鳴く]
〈青々とした山は町の北がわに横たわり、白く輝く水は町の東がわをめぐっている。いまこの地でいったん別れてしまうと、君は一本の蓬草のように万里かなたへと行ってしまう。空に頼りなく浮かぶ雲は、孤独な旅に出る君の心そのものであり、沈もうとしている夕陽は、別れを惜しみ悲しんでいる親友である私の情そのものである。君が手をふりながらここから去って行くと、君を乗せた馬がいつまでも寂しそうに嘶いている。〉
首聯の「青山」は青々とした美しい山。身近にある親しい山です。「碧山」も青々とした山ですが、こちらは俗人を寄せつけない山です。「郭」も「城」も町全体をかこむ城壁です。中国古代の町は二重の城壁に囲まれ、外側を「郭壁」、内側を「城壁」と言いました。「城」は城壁で囲まれた町のことで、日本のお城とは違います。
頷聯の「蓬」は「よもぎ」ですが、草餅を作る「菊科ヨモギ属」ではなく、「菊科ムカシヨモギ属」のヨモギです。秋に枯れ、風に吹かれると根もとから折れて転がったり飛んだりすることから、漢詩ではさすらう旅人をよく「転蓬」や「飛蓬」に喩えます。頸聯の「浮雲」は、詩の前後の状況によって、自由にどこへでも行く雲、反対に、風に吹かれてあてもなくさまよう雲、と意味合いが異なります。ここでは前の句に「孤蓬」がありますから、ひとりあてもなくさまよう雲、不安の色をたたえた雲、ということになります。「落日」は夕陽。「故人」は昔からの友人です。ここは見送る自分のことを言います。沈みそうな夕陽を沈まないようにと押しとどめることはできません。夕陽は必ず沈みます。そして友人も去って行きます。ゆっくり沈んでいく夕陽は、いつまでもこうして名残を惜しんでいたい、別れたくないという私の思いだ、というのです。
尾聯の「蕭蕭」は馬の嘶きの形容です。「班馬」は、群れから離れ、別れ行く馬。夕暮れの中、友人は手を振りながら馬に乗って去って行きます。やがて友人の姿は見えなくなり、ふっている手も見えなくなり、馬の嘶きだけが聞こえてきます。遠ざかりながらいつまでも聞こえてくる嘶きは、尽きない惜別の悲しみを表します。
映画の別れのシーンを見ているようです。まず小高い所から町全体を俯瞰します。北には親しげに青い山が連なっています。町の東を水が輝きながら流れています。明るく爽やかな、懐かしさをさそう風景です。友人はこの懐かしい町と親友の私を残して去って行きます。空には雲がひとつ、次第に日が暮れてゆきます。「浮雲遊子の意、落日故人の情」。去る人と送る人の思いを簡潔に、かつ十分に詠い、最後は、次第に遠ざかる馬の嘶きとともに、悲しみの余韻をひいてフェードアウトしてゆきます。
別れとはこういうものだ、という典型的な別れの詩です。