〈説明〉
大変困った問題です。
良い回答が見つからず、このご質問を取り上げるかどうか悩みました。
話は変わりますが、人間のみならずほとんどの動物の遺伝子にはその存在意義の分からないものが沢山あるそうです。もちろん、研究が進めば将来その役目が明らかになるものもあるかも知れませんが、とにかく分からないものが多いのだそうです。一説には、先祖がいろいろなウイルスに侵され、ときにはそのウイルスの遺伝子が組み込まれたものではないかという科学者もいるようです。
人間の社会にも似たようなことがあります。それは戦争と文明の関係です。石斧より鉄の刀。弓矢より鉄砲。火薬より原子力と変化してきました。それらの武器は結果的に人類の生活に役立つものも生み出しました。戦争を肯定する人はほとんどいないと思いますが、現代人が生活のうえで恩恵を受けているものの多くは戦争によって発明・開発されたものが多いのです。便利なカーナビゲーションもそのひとつです。
吟詠もかつては国民の士気を高揚させるため国を挙げて推奨した時期もあり、第一次?吟詠ブームが起きました。しかし戦後の吟詠ブームは国家の後押しは無かったものの、昭和の最後まで盛んでした。これはやはり第一次吟詠ブームが多くの日本人の脳裏に焼き付いていたために起きたものではないかと思います。振り返ってみると負の出来事であったことが、結果的に後々役に立ってくれたという例です。
この度の新型コロナウイルスによる世界の苦痛はどこまでのものかまだ分かりませんが、人類がかつて何度か洗礼を受けた大規模な感染症と並ぶくらいのものかも知れません。いまだに収束が見えたという国は無いと言っても過言ではありません。この大きな禍がすでに社会の一部を変えています。それは「リモートワーク」です。つまりサラリーマンが出社せずに自宅で仕事をするというスタイルです。これはすでに世界中で行われていることですが、日本ではあまり普及していません。もちろん「リモートワーク」では不可能な職種もありますが、日本の場合は昔ながら出社することに意義があり、朝、全員が顔を合わせる儀式のような時間を大切にする会社がまだ多いのです。しかし将来この感染症が落ち着いたとしても、この時期に「リモートワーク」に変えた部署はかなりの割合でこのスタイルにとどまるでしょう。
これが社会の常識になった頃は吟詠の教授スタイルもビデオ教室が多くなっていることでしょう。往復の時間と交通費が節約できます。現在すでにこのスタイルの学校がありますが、多分、音楽には不向きなシステムではないかと想像しています。複数の生徒に先生が講義をするだけなら問題ないと思いますが、生徒が一緒に同じ曲を歌ったり演奏したりはできないのだろうと思っています。中にはそれができるシステムもあるのかも知れませんが、テレビ番組で見るビデオ会議の様子を見ていると、会話に間の開いてしまうことが多く、一瞬の時間を共有できない仕組みのようです。ですから先生と生徒が合吟をすることはできませんが、生徒の吟を聞いてアドバイスやお手本の吟を返すことはできます。
最近、「5G(ファイブジー)」という通信システムが注目を浴びてます。Gはジェネレイション。つまり第5世代の通信方式で、速度がけた違いに速いのが売り物。この通信技術によれば、地球の裏側から手術ができるとのこと。つまり、操作している手の動きが同時にロボットに伝わり、その動きが同時に操作している人に見えるということです。つまり同じ手術室にいるのと同じ感覚で手術ができるというわけです。遅れがあってもおそらく百分の一秒以下なのでしょう。最近テレビでオーケストラのリモート合奏がありましたが、演奏者がイヤホンを使ってましたので、おそらく「5G」のビデオ会議方式ではなく、一カ所から送られた合図又は演奏をイヤホンで聞きながら、それに合わせて演奏していたのだと思います。
もう一つの例は、最近知人が送ってくれた吟の動画で、箏の伴奏と詩舞がいっしょになったものです。三人とも自宅からの発信のようですが特に違和感はなくうまくいっているように見えましたし聞こえました。実はほんの僅か時間的なずれがあるはずなのですが、詩吟の場合ははっきりとしたリズムが無いため聞いている側には違和感を与えません。これに合わせる詩舞もしかりです。これは箏のような弾音楽器が一つだけなので大きな不都合が起きなかったのです。もしこれに十七絃を加えたら箏の音と合わずぐちゃぐちゃになるでしょう。
話を戻しますが、ネットが苦手でもCDやDVDなどを大いに活用してコンクールに備えましょう。
※こちらの質問は『吟と舞』2020年6月号に寄せられたものです