公益財団法人 日本吟剣詩舞振興会
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漢詩を紐解く! 2024年3月




張継ちょうけい楓橋夜泊ふうきょうやはく



   楓橋は、江蘇省蘇州の郊外、寒山寺の門前を流れる楓江が、京杭大運河と合流する所にあります。その楓橋のあたりで、夜、船中にとまったときの詩です。

  楓橋夜泊    楓橋夜泊
 月落烏啼霜滿天月落つきお烏啼からすないて霜天しもてんつ]
 江楓漁火對愁眠江楓漁火愁眠こうふうぎょかしゅうみんたいす]
 姑蘇城外寒山寺姑蘇城外こそじょうがい寒山寺かんざんじ
 夜半鐘聲到客船夜半やはん鐘声客船しょうせいかくせんいたる]

〈月が沈み烏が啼き、冷たい気が天に満ちている。岸の楓や漁火いさりびが、旅の愁いで眠れない目にチラチラ映る。もう夜が明けたのかと思っていると、姑蘇城外の寒山寺から夜半を告げる鐘の音が船にまで響いてきた。〉

 起句は、寒々として月もない暗いなか、烏が啼くわびしい情景です。承句は、漁火が赤くチラチラひかり、光が当たったところだけモミジが見えます。眠れずにうつらうつらとしている旅人、旅愁がいやがうえにも増します。
ここまでは、視覚と聴覚と触覚にうったえて旅愁を詠います。後半は、寺から響いてくる夜半を告げる鐘の音によって、いっそう旅愁をかきたてます。「寒」の一字が心理情態も表し、絶妙です。
 結句は「夜半」とありますから、夜半の実景だと思いますが、実は他の句もふくめて様々な解釈があります。分類整理すると次のようになります。
 Ⅰ  起句は明け方の実景、承句以下は昨夜来の情景を思い出している。
 Ⅱ 起句から結句まですべて明け方の情景。
 Ⅲ 起句から結句まですべて夜半の情景。
①起句の情景を見聞きして夜明けかと思ったが、承句以下の情景から夜半だったのかとあらためて思った。
②起句から結句まで夜半の実景を時間の経過に従って描いた。
 Ⅳ 起句から転句は明け方の実景、結句は昨夜の夜半の記憶。

 Ⅲ は、今日一般的に行われている解釈です。ⅠⅡⅣは、すべて起句を明け方の情景としています。これには理由があります。
漢詩では「月」と言ったら満月をさします。「月落」は満月が沈むので明け方、カラスが鳴くのも明け方、一日で最も寒くなるのも明け方、ですから起句は明け方の実景、となるのです。

 そこで、承句以下をどう解釈するか、結句の「夜半」と、どう辻褄を合わせるかで右のような解釈が出てくるのです。
Ⅱは、結句を明け方とするのが他と違います。これは、うつらうつらとしていて、明けの鐘の音を、夜半の鐘と錯覚した、とするものです。Ⅳは、結句で、そういえば夜半に鐘がなったなあ、と思い出した、とするものです。

 日本の五山の禅僧に面白い解釈があります。 「張継が船のなかで妓女とともに過ごしていたが、妓女が他の人の所に行こうと、月落ち烏啼いて霜天に満つ、明け方になったから、と暇を告げて帰って行った。ところが、その後で夜半を告げる鐘が鳴り、まだ夜半なのにまんまと騙されたと悔しがった」と(幻雲『三体詩幻雲抄』)。他の書には、騙されなかった、というのもあります。

 橋は、もと「封橋ふうきょう」と言っていたのを、張継のこの詩が有名になって「楓橋」に改めたといいます。「江楓」も「江村」になっているものがあります。題名は、唐の高仲武の『中興間気集ちゅうこうかんきしゅう』には「夜泊松江( 夜松江よるしょうこうに泊す)」とあります。松江は別の地の川です。現在の寒山寺は南宋初期まで「普明禅院」と呼ばれていました。つまり唐の時代に固有名詞としての「寒山寺」はなかった。そこで、転句は「姑蘇城外山寺寒さんじさむし」と読むのがよい、という説もあります。

 写真1は、一九八七年、運河から撮った楓橋と鉄鈴関てつれいかんです。写真2は、二〇〇一年、写真1の反対側から撮った楓橋と鉄鈴関です。鉄鈴関が立派になっています。