賀知章「郷に回って偶書す」
賀知章(六五九~七四四)は、 越 州 永 興
(浙江省 蕭 山)の人で、字を季真といいます。六九五年の進士で、礼部侍郎・集賢院学士などを歴任し、秘書監を最後に八十二歳の七四〇年、道士になりたいと言って宮仕えを辞めました。
故郷に帰る際、玄宗皇帝が長年の勤務に褒美をとらせようとしたところ、賀知章は「故郷の美しい湖をください、他の物はいりません」と言って湖を一つもらいました。その湖は紹興市の南にある鏡湖 です。
―春は物憂く、秋はもの思いに沈む―という言葉もあります。
李白は春の夜ふと笛の音を聞き、次のように詠います。
少小離家老大回[少小家を離れ老大かにして回る]
鄕音無改鬢毛衰[郷音改まる無きも鬢毛衰ふ]
兒童相見不相識[児童相見相識らず]
笑問客從何處來[笑って問ふ客は何ずれの処より来たるかと]
〈若いときに家を離れ、年をとって帰ってきた。ふる里の訛はちっとも直らなかったが、鬢のあたりの毛は白く薄くなってしまった。
子どもたちは私を見ても誰だかわからない。笑いながら、お客さまはどちらからお出でになりましたか、と尋ねるのだった。〉
結句は日常の何気ない言葉をそのまま言っただけですが、老の哀しみが、いつまでも余韻として残ります。
この詩の鍵の一つは承句の「鬢毛衰ふ」です。もう一つの鍵は、「郷音」、ふるさとの訛です。年をとれば当然見た目は変わります。
しかしふるさとの訛は長年家を離れても抜けなかった、つまり気持ちはいつも故郷にあり、
「少小」から「老大」の今に至るまで故郷の人間として生きてきた、と暗に矜ます。
「ことば」の通じる故郷へ帰ってきて、この家の人間なのだという安心と嬉しさ、帰郷の喜びが「郷音無改」にこめられているのです。
ところが、転句では帰郷の喜びが無残にも打ち砕かれてしまいます。
一族の子どもたちはだれも自分のことを知らないのです。世代の違う老人ですから、知らないのは当然でしょう。
ただ、郷里の者どうしが繋がる「ことば」はあるので、もっと違う反応を期待したのだと思います。
ところが、子供たちはにこにこ笑いながら「おじいさんはどこから来たの」と話しかけてきます。子どもたちは、「ことば」の通じる「客」、よそ者としかみてくれないのです。
郷土愛が強いだけに落胆の気持ちは大きかったと思います。
同郷の者どうしが繋がるはずの「郷音」も、繋がるものとはならなかったのです。
「笑って問う」のは、ユーモアを交えて重いテーマを和らげていますが、これがかえって深刻に、「鬢毛衰ふ」、衰老の悲しみを浮き彫りにします。
この詩は二首連作です。其の二も見ましょう。
離別家鄕歳月多[家郷に離別して歳月多し]
近來人事半銷磨[近ごろ来たれば人事半ば銷磨す]
唯有門前鏡湖水[唯だ門前の鏡湖の水有るのみ]
春風不改舊時波[春風は旧時の波を改めず]
「人事」は世の中、「銷磨」は変わったことをいいます。
天宝(七四二〜七五五)の初めごろ、李白が推挙を頼みに賀知章を訪れました。
賀知章は李白の文章を見て「君は謫く仙人だ」と感嘆し、玄宗皇帝に言上したといいます。
「謫仙人」とは天上からこの世に流された仙人のことを言います。
杜甫に「飲中八仙歌」という、八人の大酒飲みを詠った詩があります。その出だしは賀知章から始まります。
知章騎馬似乘船[知章が馬に騎るは船に乗るに似たり]
眼花落井水底眠[眼花 井に落ちて 水底に眠る]
〈賀知章が酔って馬に乗っているようすは、ゆらゆら揺れて、まるで船に乗っているようだ。
目はかすみ、井戸に落ちても気がつかず、そのまま水の底で眠ってしまう。〉
杜甫のこの詩には李白のことも詠われています。
「李白は一斗詩百篇、長安市上酒家に眠る、天子呼び来れども船に上らず、自ら称す臣は是れ酒中の仙と」。
賀知章と李白はともに大酒飲みで、性格的にも通じるものがあったのでしょう。
賀知章は、故郷にある四明山に因んで自ら「四明狂客く」と号しました。
酒を飲んで詩を書くとたちどころに巻をなしたといいます。現在、詩は十九首残っています。