〈説明〉
吟詠にとっては「素読」が一番大切と言っても過言ではないくらい重要なことだと思います。
音程・節回し・声質も大事ですが、それらが良くても「読み」が稚拙では説得力がありません。
優れた俳優・声優は節無しでも聞き手を感動させます。
「ソドク」もただ単に声を出して読むだけではなく、演じるつもりで心を込めて繰り返し繰り返し読むことにより、
しまいにはその詩が自分自身の言葉であったかのように錯覚するまでになれるのです。
「ソドク百遍」は昔から唱えられてきた吟界の格言です。
元々の意味は、意味の難解な漢詩も繰り返し読むことによって自然と意味が分かってくるという「ソドク百遍、意自ずから通ず」の言葉からくるものですが、
最近では前半だけが使われ、自分の言葉になるまで繰り返し「ソドク」せよ! という意味になっています。
アクセントの話では1音のことを1音節と言いますがこれは音のない言葉もその時間を1単位として数えるため1音ではなく1音節と呼ぶのです。
音のない言葉とは「促そ く音お ん」のことで、「さっき」や「もっぱら」や「あっ!」などの場合の「っ」の言葉です。
音はありませんが1音分の時間は持っているので、こういう音も含めて音の単位を音節と言います。
しかし、音節という単語が十分普及しているとは言えませんので「拍」という言葉がよく使われるのでしょう。
1字目、2字目でも通じるとは思いますが、厳密には音の世界の話なので、音に関する言葉がふさわしいでしょう。
私が音程審査を始めて間もなくコンクールの伴奏がCDカラオケになりました。
CDになって最初のコンクールで大失敗をしました。最後の講評のとき「いわば既製服ともいえるCDカラオケを、まるで誂え服のように上手に合わせている方もいました」
といって称賛したことを、他の審査員の先生方から注意されました。「CD伴奏の間合いによく合わせる方が得点が高いと思わせてしまう発言だ!」
つまりカラオケの寸法に合っているかどうかは審査対象ではないということなのです。
のちに落ち着いて考えてみますと、カラオケの寸法に合っている方が得点が高いということになりますと、皆がそのカラオケに合わせようと、吟の節を変え間合いを変えて、
終局はカラオケを作ったときのモデル吟と同じような吟に集約してしまうことになるわけです。そんな結果が良いはずありません。
しかし、あまりにも伴奏と吟のタイミングが違いすぎますと、常に伴奏の和音と無関係な発声をする時間が多くなり、上位を競うときには順位に影響がないとは言い切れません。
自身の吟の長所を曲げることなく伴奏のきっかけ音に合わせられるのでしたらそれがよりよいでしょう。
音程が1/ 16本狂うということは6/100、つまり6セントの狂いですからコンクールでは見逃してもらえる範囲ではありません。
絶句2分の間でこの程度の狂いが1度なら「たまたまか?」と思ってくれる審査員も、2度以上あれば「音程不安定」として減点するでしょう。
しかし、あなたの場合は過去にコンクールを何度も経験しているのですから、そんなことを心配せず、大きなミスをしないことだけを心掛ければ少壮のタイトルは獲れたも同じです。
自信をもって臨みましょう!少壮コンクールは優勝しなくてイーーンです。
※こちらの質問は『吟と舞』2019年8月号に寄せられたものです