王安石「初夏即事 」
王安石(一〇二一~一〇八六)は、北宋の政治家・文人です。疲弊した農業や経済を立てなおすために「新法」を制定し、政治改革を断行したことでよく知られています。
王安石は一〇七六年政界から退くと、江寧(今の南京)にもどり、南京の町と郊外の鍾山のちょうど真ん中あたりに「半歩亭」を築き、隠棲しました。
「亭」と言っても、日本の「あづまや」とは違います。広大な土地の別荘です。「初夏即事」はその半歩亭での作です。「即事」は、眼の前の風景などを見たままに詠うことです。
石梁茅屋有灣碕[石梁茅屋湾碕有り]
流水濺濺度兩陂[流水濺々として両陂に度る]
晴日暖風生麥氣[晴日暖風麦気を生じ]
綠陰幽草勝花時[緑陰幽草花時に勝る]
〈石の橋、茅葺の家、そして湾曲している岸がある。水はサラサラと両側のつつみの間を流れてゆく。よく晴れた日、暖かな風が吹きわたり、麦の香りが漂ってくる。こんもり繁った木陰にひっそりと草がしげるそのようすは、花の咲く時よりも趣きがある。〉
第一句は、「石梁」「茅屋」と名詞が続き、「有り」と動詞があって「湾碕」と名詞がきます。
漢詩には、日本語のような「てにをは」はありませんから、「ことば」とその繋がりから風景を想像し、イメージを一つにまとめていくことになります。石の橋があったり茅葺の家があったり湾曲した岸がある、と。
「梁」は橋、「湾碕」は湾曲して出た岸です。半山亭の景色で、石・茅・碕と材質の異なるものを組みあわせて立体的に描いています。
第三句も、第一句と同じ構成で、「晴日」「暖風」と名詞、「生じる」と動詞、そして「麦気」と名詞がきます。やはり、風景を想像しながら読むと、晴れた日で暖かな風が吹き、麦の香りが風に運ばれてくる、初夏の〝空気〟が感じられます。
第一句と第三句を詩の前半に並べると対句になります。が、詩では対句にはしてありません。それは、前半を「湾碕」を中心とした近景でまとめたかったからでしょう。
湾曲した岸を中心にして、立体的に景色を描き、「湾碕」から堤がずっと続いて、そこに水がサラサラ流れていると、聴覚にも訴えながら、視線を、第一句の近景から、遠くへと導くのです。
遠くへと視線を誘いて、転句では広い「風景」を詠います。晴れた良い天気で、暖かい風が吹きわたります。その風に乗って、勢いよく育った麦の香りが漂ってきます。
麦畑が見えていたかどうかは分かりませんが、いずれにしても麦が黄色く実っている畑が広々とひろがっている「風景」が見えてきます。この解放感、ここちよさ、まさに「初夏」です。
初夏は麦が実る時節ですから「麦秋」とも言います。
解放された心でふと見えたのが、初夏になって木々がこんもりと緑の葉を茂らせている景色です。連想された「黄色」と、第四句の「緑」、初夏の色の対比です。
「緑陰」は木陰です。夏は、木々が鬱蒼とし、周りの強烈な光によって、木陰は暗い感じになりますが、初夏ではまだ木陰は明るい、その緑陰の下にひっそり草が茂っています。「おや、こんなところにも草が生えている」という驚き。緑陰の緑とは違う、ひっそりとしたみずみずしい緑です。そこで作者は思わず「花の咲く時よりも趣きがある」と結ぶのです。
季節を比べる詩句に、草が萌えだす早春のほうが、柳の煙る春たけなわの時よりよい、という
絶勝煙柳滿皇都[絶煙柳の皇都 に満つるに勝れり]( 韓愈「早春」)
や、春の紅い花より秋の紅葉のほうが紅い、という
霜葉紅於二月花[霜葉 は二月の花よりも紅なり]( 杜牧「山行」)があります。
王安石は、前半のサラサラと流れる水の音、転句の色の連想と香り、結句で微妙に色合いの違う緑を描写し、春の花の時節より、人知れずひっそり草がしげる初夏がいい、といいます。
初夏の心地よさを詠うとき、作者の心もゆったりとのびのびしています。