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漢詩を紐解く! 2023年9月




王安石おうあんせき初夏即事しょかそくじ

 王安石(一〇二一~一〇八六)は、北宋の政治家・文人です。疲弊した農業や経済を立てなおすために「新法」を制定し、政治改革を断行したことでよく知られています。

 王安石は一〇七六年政界から退くと、江寧こうねい(今の南京)にもどり、南京の町と郊外の鍾山しょうざんのちょうど真ん中あたりに「半歩亭はんぽてい」を築き、隠棲しました。
「亭」と言っても、日本の「あづまや」とは違います。広大な土地の別荘です。「初夏即事」はその半歩亭での作です。「即事」は、眼の前の風景などを見たままに詠うことです。

 石梁茅屋有灣碕石梁茅屋湾碕有せきりょうぼうおくわんきあり]
 流水濺濺度兩陂流水濺々りゅうすいせんせんとして両陂りょうひわたる]
 晴日暖風生麥氣晴日暖風麦気せいじつだんぷうばっきしょうじ]
 綠陰幽草勝花時緑陰幽草花時りょくいんゆうそうかじまさる]

〈石の橋、茅葺かやぶきの家、そして湾曲している岸がある。水はサラサラと両側のつつみの間を流れてゆく。よく晴れた日、暖かな風が吹きわたり、麦の香りが漂ってくる。こんもり繁った木陰にひっそりと草がしげるそのようすは、花の咲く時よりも趣きがある。〉

 第一句は、「石梁」「茅屋」と名詞が続き、「有り」と動詞があって「湾碕」と名詞がきます。
漢詩には、日本語のような「てにをは」はありませんから、「ことば」とその繋がりから風景を想像し、イメージを一つにまとめていくことになります。石の橋があったり茅葺の家があったり湾曲した岸がある、と。
「梁」は橋、「湾碕」は湾曲して出た岸です。半山亭の景色で、石・茅・碕と材質の異なるものを組みあわせて立体的に描いています。
 第三句も、第一句と同じ構成で、「晴日」「暖風」と名詞、「生じる」と動詞、そして「麦気」と名詞がきます。やはり、風景を想像しながら読むと、晴れた日で暖かな風が吹き、麦の香りが風に運ばれてくる、初夏の〝空気〟が感じられます。

 第一句と第三句を詩の前半に並べると対句になります。が、詩では対句にはしてありません。それは、前半を「湾碕」を中心とした近景でまとめたかったからでしょう。
湾曲した岸を中心にして、立体的に景色を描き、「湾碕」から堤がずっと続いて、そこに水がサラサラ流れていると、聴覚にも訴えながら、視線を、第一句の近景から、遠くへと導くのです。

 遠くへと視線を誘いて、転句では広い「風景」を詠います。晴れた良い天気で、暖かい風が吹きわたります。その風に乗って、勢いよく育った麦の香りが漂ってきます。
麦畑が見えていたかどうかは分かりませんが、いずれにしても麦が黄色く実っている畑が広々とひろがっている「風景」が見えてきます。この解放感、ここちよさ、まさに「初夏」です。
初夏は麦が実る時節ですから「麦秋ばくしゅう」とも言います。

 解放された心でふと見えたのが、初夏になって木々がこんもりと緑の葉を茂らせている景色です。連想された「黄色」と、第四句の「緑」、初夏の色の対比です。 「緑陰」は木陰です。夏は、木々が鬱蒼とし、周りの強烈な光によって、木陰は暗い感じになりますが、初夏ではまだ木陰は明るい、その緑陰の下にひっそり草が茂っています。「おや、こんなところにも草が生えている」という驚き。緑陰の緑とは違う、ひっそりとしたみずみずしい緑です。そこで作者は思わず「花の咲く時よりも趣きがある」と結ぶのです。

 季節を比べる詩句に、草が萌えだす早春のほうが、柳の煙る春たけなわの時よりよい、という 絶勝煙柳滿皇都絶煙柳はなはだえんりゅう皇都こうとつるにまされり]( 韓愈かんゆ「早春」)
や、春の紅い花より秋の紅葉のほうが紅い、という
霜葉紅於二月花霜葉そうよう は二月の花よりもくれないなり]( 杜牧とぼく山行さんこう」)があります。
 王安石は、前半のサラサラと流れる水の音、転句の色の連想と香り、結句で微妙に色合いの違う緑を描写し、春の花の時節より、人知れずひっそり草がしげる初夏がいい、といいます。
初夏の心地よさを詠うとき、作者の心もゆったりとのびのびしています。