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漢詩を紐解く! 2023年6月




香啓こうけい問梅閣もんばいかく

高啓は明初の詩人で、現在の江蘇省蘇州の出身です。梅を愛し、梅を詠う詩を多く残しています。詩題の「問梅閣」は建物の名前です。そこで梅を見て「問梅」にちなんで詠んだ詩です。

 問春何處來[春に問ふ何れの処よりか来る]
 春來在何許[春来って何れの許にか在ると]
 月墮花不言[月堕ちて花言はず]
 幽禽自相語[幽禽自ら相語る]

<春に聞くが、春はいったいどこから来るのだろうか。春が来て、いまはどこにいるのだろうか。月は沈み、梅の花は何も言わない。ただ小鳥だけが静かに囀っている>

前半の二句は「春」を二回、「来」を二回、「いずこ」を「何処」「同許」と2回ずつ繰り返します。同じ字を使わないのが近体詩の作り方ですが、この詩はあえて近体の作り方には従わず、古体のようにして素朴な味わいを出しています。後半は、沈む月の光のなかで、輝くように浮かぶ梅を詠います。月は花を透かした向こうに見えるわけですが、この風情は、唐の王維が松の葉越しの月を「明月松間めいげつしょうかんに照る」(「山居秋暝さんきょしゅうめい」)と表現したのと同じです。春はどこから来て、今どこにいるのか、という問いに花は答えてくれませんが、小鳥が静かに「ここにあるよ」と鳴いています。ほのぼのとした春のおもいが伝わってきます。起句を「春に問う」と読むと以上のように解釈します。が、「春は」どこからきて、今どこにいるの?」ということを、どこにいるかわからない春に質問できるのでしょうか。


日本では梅の花は春の花と認識されていますが、「春の魁」と言われるように、春が来るまえに春の到来を知らせて咲く花ですから、中国では梅は冬に咲く花として認識されています。中国では一年を春夏秋冬の四季に分け、さらに季ごとに六節にわけ、合わせて「二十四節」という節目を考えています。「季節」という言葉はこれに由来します。ちなみに春は立春りっしゅん雨水うすい啓蟄けいちつ春分しゅんぶん清明せいめい穀雨こくうの六節です。この節はさらに五日ごとに三つの候に分けられます。一節に三候で、つまり一季は、六節十八候あることになります。花は、候ごとに新たに吹く風によって順番に咲くとされ、その風を二十四番花信風にじゅうしばんかしんぷうと言います。「花信風」は花便りの風です。二十四は、冬の最後の二節「小寒」「大寒」の計二十四候を言います。開花の順番は開花の順番は梅が最初で、冬の「小寒」の一候に咲きます。二候が山茶ツバキ、三候が水仙です。その後は「大寒」の三候を経てようやく「立春」となります。明らかなように梅は冬の花であり、まさに春にさきがけて咲きます。


五言絶句は2字3字のリズムで句を構成しますから、それに従えば高啓の起句の読み方は
 問春何處來[春に問ふ何れの処よりか来る]
となります。が、題名も詩の一部ですから、題に「梅に問う」とあるからには起句の「問う」は梅に訪ねたと取るのが分かりやすいと思います。

 問春何處來[春に問ふ何れの処よりか来る]
 春來在何許[春来って何れの許にか在ると]
前半は古風な味を出しているのですから、「(梅に)問う」という含みで読めば「春〜来、」「春来〜」と二句が対応して分かりやすくなります。また転句で「花言わず」とありますから、やはり「梅に問う」たものにしなければ辻褄が合いません。梅は冬の小寒に咲きます。春はまだ来ていません。そこで、春はどこから来て、いまどのあたりにいるの、と梅に尋ねるのです。しかし、花は何も言わず、鳥が楽しそうに鳴いて、春の到来を喜んでいるのです。 ところで、「月が堕ちる」のは夕方でしょうか、明け方でしょうか。満月なら、沈むのは明け方です。三日月なら夕方です。一般的には月は満月をさしますから、この詩は明け方の情景でしょう。月が沈んだ冷たい空気のなかで、朝焼けを背景に凛と咲く梅を見て春はまだなのと尋ねた、素朴な詩です。

作者の高啓は三十九歳で刑死しました。凛と咲く梅の花と詩人の生き方が重なります。