柴野栗山「富士山を詠ず」
(しばのりつざん「ふじさんをえいず」)
江戸時代は作詩人口が増え、詠う題材も一気にひろがりました。富士山も多くの詩人が詠い、それぞれの視点からいろいろな詠い方がされています。石川丈山の「富士山」は、富士山を「白扇」と表現して一躍有名になりました。かつて日本に亡命していた郭沫若(一八九二~一九七八)も「五絶」という詩で「襟を披いて海に臨んで立ち、相対す扇峰の高きに」と詠っています。柴野栗山の「富士山を詠ず」は格調高く、前半は蓮にたとえて高潔で秀麗なさまを、後半は雄大で崇高なさまを詠い、富士の詩の絶唱とされています。
誰將東海水[誰か東海の水を将って]
濯出玉芙蓉[濯い出す 玉芙蓉]
蟠地三州盡[地に蟠って三州尽き]
挿天八葉重[天に挿んで八葉重なる]
雲霞蒸大麓[雲霞大麓に蒸し]
日月避中峰[日月中峰を避く]
獨立原無競[独立原競うこと無く]
自爲衆嶽宗[自ずから衆学の宗と為る]
<誰が東海の水をもって、この玉芙蓉を洗い出したのか。裾野を広げて甲斐・相模・駿河の三州を尽くし、天空に突き刺して八枚の花弁が重なる。雲や霞が大きな麓から蒸し上がり、日や月は中央の峰を避けて運行する。独りスックと立ってこれと競うものはなく、おのずから山々の本家と仰がれている>
「東海」は、大陸の東の海、つまり日本をめぐる海をいいます。「玉芙蓉」は玉で作りあげた蓮。「蟠地」は、大地に根をひろげ、どっしりしていること。「三州」は、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、駿河(静岡)の三つの国。「八葉」は、八つの花びら。富士は八つの峰があり、八弁の蓮の花に似ているのでいいます。「蒸」は蒸してのぼること。「中峰」は、中央の高い峰です。「宗」は宗主、本家、権威者を意味します。富士山は日本の山々のなかでもっとも権威ある山というのです。杜甫に「望嶽(岳を望む)」という詩があります。この「嶽」は山東省、昔の国名では斉と魯にまたがり、富士山と同じように平野の真ん中に突兀とそびえています。
岱宗夫如何[岱宗夫れ如何ん]
齊魯靑未了[齊魯靑未だ了きず]
造化鍾神秀[造化神秀を鍾め]
陰陽割昏曉[陰陽昏曉を割く]
盪胸生曾雲[胸を盪して曾雲生じ]
決眥入歸鳥[眥を決して帰鳥入る]
會當凌絶頂[会ず当に絶頂を凌ぎ]
一覽衆山小[一覧すべし衆山の小なるを]
泰山は「岱宗」と呼ばれ、衆山の「宗」とみなされていました。柴野栗山が富士山を「宗」と言うのは、杜甫の詩の影響を受けています。似た表現もあります。
すそ野が広くひろがる(杜甫→栗山)「斉魯青未だ了きず」→「地に蟠って三州尽く」
雲がわく「胸を盪して曾雲生ず」→「雲霞大麓に蒸す」
匹敵する山がない「一覧すべし衆山の小なるを」→「独立原競うこと無し」
「日月中峰を避く」も杜甫の「陰陽昏曉を割く」を踏まえているのでしょう。杜甫の句は、崑崙山を「日月の相避け隠れて光明を為す所」(『史紀』「大宛列伝」の引く「禹本紀」)をさらに大きく詠ったものです。「日月の相避け隠れて光明を為す」は、山部赤人の「富士山を望る歌(「田子の浦」の長歌)にも詠われています。
天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らい 照る月の
光も見えず 白雲も い行きばかり 時じくそ
雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
杜甫は「胸を盪して」「一覧すべし」のように自らの感慨をおりまぜて詠いますが、柴野栗山はより客観的に富士山を詠い、かつ山部赤人の長歌の品格と調べを受け継いでいます。