木戸孝允「勧学」「偶成」
(きどたかよし「かんがく」「ぐうせい」)
「勧学」とは学問を勧める、という意味です。『荀子』の冒頭に「勧学篇」があり、学問の必要性や、その方法・目的などが論じられています。書の最初に「勧学」を置いたのは孔子の言行録『論語』に倣ったのでしょう。その冒頭の第一条。
学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや。朋の遠方より来たる有り、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。(学而篇)
〈学んで、いつも復習する。すると分からなかったことが分かるようになる。それは何と喜ばしいことではないか。志を同じくする友が遠方からやって来る。それは何と楽しいことではないか。他人が自分のことを知ってくれてなくても気にかけない。それは何と立派な人ではないか〉
『論語』にはいたる所で学問の大切さを説いています。次のようにも言います。
古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(憲問篇)
〈古の学ぶ者は自分の修養のためにし、今の学ぶ者は人に知られたいためにする〉
孔子は、学問は人間性を高め、徳を涵養するために行うのであり、徳を得た人は、平和な国を作り、民を守るために学んだことを活かさなければならない、と考えていました。この孔子の考え方は江戸時代の人々に浸透し、明治時代以降も引き継がれました。
木戸孝允(一八三三~一八七七)の「勧学」の詩は、明治維新の元勲として、次代をになう青少年に学問に励むことの大切さを諭しています。
駑馬雖遲積歳多[駑馬遅しと雖も積歳多ければ]
高山大澤盡耐過[高山大沢尽く過ぐるに耐へたり]
請看一掬泉巖水[請う看よ一掬泉巖の水]
流作汪洋萬里波[流れて汪洋萬里の波と作る]
〈足ののろい馬でもたゆまず長い年月歩み続けるなら、どんなに高い山でもどんなに大きな沢でも、ことごとく行くことができる。見てごらん、ほんのひと掬いの岩間の水も、絶え間なく湧き出て流れてゆけば、広々と果てしない大海原の波ともなるのだ。〉
学問は賢愚の才には関係なく、絶えざる努力が大切である、と言います。「駑馬」と「水」の例えは『荀子』「勧学篇」を踏まえています。
小流を積まざれば、以て江海を成すこと無し。……駑馬も十駕すれば則ち亦た之に及ぶべし。
〈小さな川の流れを集めなければ、大きな川や海にはならない。……足ののろい駄馬でも十日歩めば駿馬に追いつくことができる。〉
荀子の文と木戸孝允の詩と、内容は同じです。たゆまず努力すれば必ず成就する、と。しかし、表現が違うと受ける印象もずいぶん違います。詩ではより分かりやすく、駑馬でもたゆまぬ歩みによって高山大沢をも踏破できる、「一掬泉巖の水」であっても「汪洋萬里の波」となると言います。表現はより具体的で、リズミカルで、直感的に理解できます。詩は、平仄の規則に縛られますが、それが返ってわかりやすい表現を生みます。
「勧学」と同じ趣旨で、さらに才子と愚者を対比して「偶成」では次のように詠います。
才子恃才愚守愚[才子は才を恃み愚は愚を守る]
少年才子不如愚[少年の才子は愚に如かず]
請看他日業成後[請ふ看よ他日業成るの後]
才子不才愚不愚[才子は才ならず愚は愚ならず]
〈才子は才を自負して努力せず、愚者は愚を自覚して努力する。だから若いころは才子であるより愚者であるほうがよい。見たまえ、成功した者のその後を。才子は努力を怠ってすでに才子ではなく、愚者は努力してもはや愚ではない。〉
「才子」と「愚」を繰り返して心地よいリズムが生まれています。そして愚である方が、それを自覚することによって謙虚で勤勉である、と言います。もちろんん才子もそうあらねばなりません。
木戸孝允は、幕末の混乱した時期に、一命を賭して奔走し、維新という大事業を成し遂げました。清廉潔癖な人柄は広く人々に慕われたといいます。学問の大切さを詠う詩は、軽やかなリズムに、今日も重いメッセージを託しています。