白居易「月に対して元九を憶ふ」
(はくきょい「つきにたいしてげんきゅうをおもふ」)
元和五年(八一〇)八月十五日の夜、宮中に独り宿直した作者が、中秋の名月を見ながら親友の元稹を憶って作った詩です。元九の「九」は一族の同年代の子供につけた番号で、排行と言います。この年、白居易は三十九歳、皇帝の秘書、翰林学士でした。一方の元稹は三十二歳で、宦官との争いのため、監察御史から江陵(湖北省江陵県)の士曹に左遷されていました。月は、遠く離れていても、同時に見ることができます。そこで漢詩では、月を見て家族や親友と会えない悲しみを詠ったり、懐かしい思い出を詠ったりします。李白は「静夜思」で「頭を挙げて山月を望み、頭を低れて故郷を思ふ」と詠っています(第19回)。この詩は、作者のいる宮中から詠いだされます。「銀台」は門、「金闕」は御殿のことで、金銀はそれぞれを美しく表現した語です。作者がいた翰林院の南に「銀台門」がありました。
銀臺金闕夕沈沈[銀台金闕夕沈沈]
獨宿相思在翰林[独り宿し相思ふて翰林に在り]
三五夜中新月色[三五夜中新月の色]
二千里外故人心[二千里外故人の心]
渚宮東面煙波冷[渚宮の東面煙波冷やかに]
浴殿西頭鐘漏深[浴殿の西頭鐘漏深し]
猶恐淸光不同見[猶ほ恐る清光の同じく見ざるを]
江陵卑濕足秋陰[江陵は卑濕にして秋陰足る]
〈宮中のあちこちにそびえる銀の門や金の御殿が夜のしじまに溶け込むとき、私は君のことを思いながら独り翰林院に宿直している。こよいは十五夜、出たばかりの月は澄みわたり、二千里離れている旧友へと思いが馳せる。君のいる渚のほとりの宮殿の東側では、もやの立ちこめた波が、月の光に冷たく光っていることであろう。ここ宮城の浴殿の西のあたりでは、時を告げる鐘と水時計の音が静かな夜に深く刻まれていることを、君は月を見ながら想像していることであろう。それでもなお心配なのは、この清らかな月の光が、ここと同じようにはっきりと見えないのではないかということ。なぜなら、君のいる江陵は低地で湿気が多く、秋でも曇りがちの日が多いと言うから。〉
白居易は、月を見ながら二千里外の「故人」を思う「心」を詠っています。第六句目は、やはり月を見ながら、元稹も自分のことを思っているだろう、と想像している句です。相手も自分を思っているという表現は杜甫の「春日李白を憶ふ」にもあります。その頸聯(第五句・第六句)
渭北春天樹渭[渭北春天の樹]
江東日暮雲[江東日暮の雲]
〈私(杜甫)は北の渭水の地で春の空にそびえる木々を見てあなた(李白)のことを思っています。あなたは、長江の東の地で夕暮れの雲を見ながら私のことを思っていることでしょう。〉
この二句から「雲樹」が友情をあらわす言葉となりました。あなたも私のことを思っている、と言うことによって、相手のおもいやりとやさしさを表し、わたしのあなたへの「友情」が強調されます。白居易と元稹は七歳の年齢差がありますが、いつもお互いに相手を気遣う、本当の親友でした。元稹が長安を去ったのち、白居易は「同心一人去って/坐ぞろに覚ぼゆ長安の空なしきを」(元九に別れて後所懐を詠ず)と詠っています。お互いに詩のやり取りをし、ともに分かりやすい詩をめざす同志でした。
なお、詩中「夕」は夕方ではなく夜のこと。「三五の夜」は三五十五で、十五夜。「新月」は、今日言う月齢が零の月ではなく、出たばかりの満月を言います。
ちなみに「新鳥」は、朝鳴き出したばかりの鳥です。「故人」は親友の意です。
白居易の詩は日本の平安貴族に愛読され、日本文学に大きな影響を与えました。『源氏物語』須磨の巻には、「うちかへりみたまへるに来し方の山は霞はるかにて、まことに三千里の外のここちするに」とか、「今宵は十五夜なりけりとおぼしい出でて〜二千里の外の故人の心と誦じたまへる、例の涙もとどめられず」などと、この詩を踏まえた表現が見られます。